OKAYAMA Swing Street
語れば熱き音楽人
半世紀前の岡山と私
2002.04.25 福武 三二
今の若い人達に、昔話をチョッピリ…。
私が小学生の頃、今から約40数年前の岡山。
なんと、あの西川(緑道公園)で泳いでいたのでした。
「エッ!」とびっくりするかもしれないけど本当のことである。

  海水浴をするには渋川や出崎海岸まで行かなければならなかったし、子供達だけで行ける距離でもない。
家庭にも現在のように車が2台も3台もある時代ではない。
後でも記述するが、道路事情も決して良くはない。
仮に車やバスを利用して海に行ったとしても1日仕事。
夏休みに入っても親が連れて行ってくれるのはせいぜい1回か2回。
小学生の私達にとって、がまんできる訳がない。
朝も早くから友達と一緒に自転車に乗り一目散に西川へ…。

  跨線橋から飛び込んでは現在のアイプラザ近くまで泳いでは帰り、時にはアミで魚を捕ったり、ザリガニを糸で釣ったり、水中鬼ゴッコをやったりと、あっと言う間に一日が過ぎていったものである。
当然のことながら、水も今よりも随分きれいで澄んでいた。
川底までくっきりと見えて、多少の水を飲んでも大丈夫であった。
車の少ない時代でもあったが、大人の人達は、川沿いに車を停めて洗車したり、お米を研いだり、道路に水を汲んでまいたり…。

  当時の道路はアスファルトではなく、土やジャリ道だったのでホコリが凄かった。
西川というものが大人にとっても子供達にとっても大きく生活や遊びの中に根付いていたように思う。確かに今現在、緑も増え、道路も整備され、色とりどりの草花も咲き乱れ、きれいにデザインされた様々な橋がかかり、見た目にはひじょうに美しい西川緑道公園として生まれ変わっている。しかし、私から見れば(私だけかもしれないが…)生活との密着感はまるでなく、市民の「憩いの場所」としての利用頻度や価値がそんなにあるとは思えない。

  もちろん、30年も40年も前に戻すことがいいかどうかは別だが、西川や運動公園の木々にしても年に何回かの剪定。きれいに刈られて見た目もすっきり。
昔なら、枯葉がたくさん落ちてくればどこからとなく近所からおばさんがホウキ片手に掃除をしに出てき、それを待ちかねていたかのように子供達がお芋を持ってやってくる。落ち葉焚きと焼き芋パーティーの始まり、始まり…。
あちらこちらで煙りが立ち上り子供達の喚声と共に、焼き芋のいい匂いがたちこめてくる。やがて枯葉は燃え尽きて灰になり、土に戻っていく。
また、雨が降り道路に水たまりができると、泥んこになってはしゃぎ回り、スコップで雑草を取りながら土を埋めていく。

  先程も述べたように西川で泳いでいたので、大人も子供もゴミを決して捨てなかったし、たまたま缶やビンなど見つけると手足に怪我をしないよう、みんなで掃除もしていた。そんな光景は毎日の事で、生活していく中で誰に教えられるということではなく、身についていったものだった。

  今、日時を決め袋を持ち、ボランティアだの町内一斉清掃だのと、決め事がないとできない状況である。タバコのポイ捨て、缶やビンでもそこら中に散乱、コンビニの弁当、菓子袋、大きいものでは自転車やバイク、車までなんでもかんでもすぐ捨てる。
人の迷惑考えない。本当にそれでいいのか!
話がついつい説教じみてきたが(年齢の高い人はすぐこう言う話になってしまう悪いくせです。少し反省。)

  アスファルトの少しの隙間から覗いている名もない雑草や虫達の姿を見ると時々昔を思い出し切なくなったり、愛おしくなったりするのは年齢のせいだけではないかもしれない。たぶん、知らず知らずのうちに身についてきた物に対する愛情や道徳感がそう思わせているのだと思う。
毎回、とりとめももない話になってしまうが、小さな子供達や若い人達だけでなく、我々も含む大人達が、身近な自然や周りの生活、環境などについて意識したり、話をしたりしてくれるとおじさんとしてはチョッピリうれしいのですが…。  
2002.04.25 福武 三ニ


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