OKAYAMA Swing Street
語れば熱き音楽人
「コミュニケーション」
2001.11.20 福武 三二
 最近では、インターネットのメールのみならず、携帯電話でのメールが一大ブームである。ブームというより若い人達の間では生活の一部にまでなってきている感が見受けられる。

 もちろん電話としての利用も多く、歩きながらしゃべっている光景も多々見られるが、今では、立ち止まって電話とにらめっこや、ベンチやバス停、お店の中で、その上仕事中まで話をしているよりメールを打っている姿の方が目立つ位。こんな状況も現代の文化といえばそうであるが…。

携帯電話  私にとってはコミュニケーションの手段としてはいまひとつ、いや全然といっていいほど認められない。会話とは、相手を前にして、目と目を見、また、表情や態度を確認しながら話の内容を確かめたいし、こちらの意志を伝えたいと思っている。今、相手は本当に喜んでいるのか?悲しんでいるのか?とても嫌がっているのかなど、表情、態度である程度わかるものである。それがメールだと嫌々返事をしていても理解できないことが多いし、本当に喜んでいることや感動していることも伝えにくいのではないだろうか。シャイな人や、口下手な人達にとっては安易だし、メールだと自由な言葉(文)を並べておもしろおかしくも書けるというメリットがないとは思わないし、忘れないうちにメールで相手に伝えておけば時間のある時に確認できたり、返事ができたりといい事も確かにあるとは思う。でも、一喜一憂したり、手と手をとりあったり相手と涙したり笑いころげたり、感動する。それは人と人とが面と向かって話し合ってこそ存在するもののような気がする。

 私は、メールも大の苦手だが、電話もそうである。メールと同じくとても便利なものではあるが、やはり相手の表情が見えてこないものはダメだ。話している相手がちょうど食事中だったり、風呂に入るところだったり、もしかしたら就寝中を無理に起こしているのかも知れない。何か用事をしていても、電話のベル(最近は着メロかな?)が鳴ると出なくてはいけないという脅迫観念じみたものがあるような気がする。その点では、少しはメールの方がいいのかな?なんだか解らなくなってきてしまった。今、こうして文章を書いていても、途中でやり直したり、なんかカッコつけてみたり、自分ではない自分がここにいるような気がしてあまり好きになれない。コラムもけっこう苦手なんでつらい!なんて、ちょっぴり本音がでたりして…。(がんばります)

 今でも、BANDなんて物を演っている私だが、録音なんかもイマイチ好きになれない。間違えると何度でもやり直しがきくし、CD、MDを聴いてくれる人達の表情も感想も伝わってこない。がしかし、ライブは全然違う。シビアな意見がその場で聞けるし、二度とやり直しがきかないという緊張感、恐さももある。その場での臨場感、感動は全く別のものであるし、お客さんのノリも即、伝わってくるし理解できる…。
 それらを共有しあってこそ、コミュニケーションの輪が拡がっていくような気がしている。電話やメールを「気持ちを伝える手段」として多用するのは少し危険である。

 とりとめのない文章になってしまったが、とにもかくにも、対面会話、人と人とのふれあいが今の時代、特に必要であり、大切な事ではないだろうか。
福武三ニ 2001.11.20


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