OKAYAMA Swing Street
語れば熱き音楽人
YAMBOW JAZZ徒然 ネット版 <4>「イマジン・ミュージック」
2001.10.30 平井康嗣
   ビートルズが教えてくれた。他人に思いやりを持つことの大切さを。しかし、他人を理解するというのは偽善である。理解しているつもりでも、結局、他人の立場や境遇を自分なりにイメージする事しか出来ないのだ。逆に自分の事なら理解できているのか、と言うとそうでもない。自分の事を理解するのが実は一番難しい事なのだ。だからまして他人を理解することは不可能なのだ。それでも、自己防衛本能で、自分に一番都合のよい弁解を用意して、人はそれに従って生きている。だから、個性や性格、しいては人生そのものもそれゆえ百人十色となってくるのだ。その各々身勝手に生きている生き様のなかでも、矢張り他人の事がイメージ出来るか出来ないかでは、生き様自体も180度違ってくる。常に他人をイメージして生きて行くことは大切なことだ。

   イメージ・トレーニングという言葉がある。韓国のサックス奏者で、カン・テーファン(姜泰煥)という凄いミュージシャンがいる。彼は、毎朝6時に起きてサックスの練習をする。しかし音は出さない。サックスを持ってサウンドをイメージしながら指のトレーニングだけをする。そして週に一回だけ音を出して、自分のイメージしていたサウンドと実際の音とを確認する。彼は昔、韓国のトップクラスのジャズサックス奏者だった。楽団を率いて、よくあるバンドマン人生を送っていた。アメリカ大使館のパーティーの仕事の時、彼の楽団はぞんざいに屈辱的な扱いをうけた。そして次の大使館の仕事で、イントロだけ演奏して楽器を片付けて帰ってしまった。それからは彼は仕事を干され、やくざなバンドマン人生から足をあらった。しかし、その時大使館のごみ箱に捨てられていたコルトレーンの「サンシップ」のレコードを聴いて、音楽に目覚めたのだ。それ以来、独自のサックス奏法による自己の表現方法を探究しだしたのだ。姜泰煥は今や東洋のオリジナルなサックス奏者として孤高の人である。そんなミュージシャンだからこそ音楽のイメージ・トレーニングができるので、イメージだけで楽器が演奏できて、音楽ができ出したらこんな楽なことはない。たまに勘違いしている人もいるようだが..。そうしてみると、ヴェートーベンが耳が聴こえなくなっても交響曲の確かな楽譜を書けたのは、確固たるイメージがあったからで、まさに神業なのだ。

   逆に聴く方としては、イメージが無い演奏や貧弱なイメージの音楽ほど退屈なものもないわけで、その辺でクリエイティブな音楽とそうでない音楽の違いがあるのかもしれない。別にクラシックやスタンダード曲が面白くないと言っているわけでなく、クラシックの凄いミュージシャン達は、過去の偉大な作曲家の譜面を自分のものとしてイマジネイションできて演奏している。ジャズの名演になると、演奏者の曲への独断的イメージの方が強烈になってくる。そしてロックやポップスは、イメージの強烈さの方が演奏より先行してくるようだ。音楽のイメージ、つまり俗に言うところの「歌心」。同じ曲や歌を歌っても、感動できる演奏と聞き流してしまう演奏がある。そうかといってオリジナルの新しい曲をすれば、「歌心」があってクリエイティブなミュージシャンかといえばそうでもないようだ。こればかりは一言で判断できないし、その基準さえも人によって違ってくる。

   人間はイメージして、それを具現化することで、文明や文化を築いてきた。その中でよりよい生活や社会規範を作り上げてきたのだろうが、みんながみんな同じイメージを持っているとも限らない。しかし、イメージする力は何なのか。一説にはセックスから来ているらしい。自慰行為をするとき、同性をイメージするか異性をイメージするかで、同性愛者か、そうでないかを決定するらしい。やはり人間はイメージの動物なのだ。
YAMBOW 平井 2001.10.30


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