OKAYAMA Swing Street
語れば熱き音楽人
酒と音楽と男と女 「第一章」
2001.1.25 秋山 貴
 当時岡山の二大音楽サークルのひとつだったB.L.Aに高校生の時バンドで参加し、 その後1978年にそのサークルを引き継いだ。B.L.A自体は、その数年後に無くなってしまったが、 そんな事に足を突っ込んだばっかりにかれこれ20年以上も多かれ少なかれこの業界に携わっている。

目まぐるしい楽器・エフェクター等の進歩、デジタル化、ローコスト化などで、高校生でもすごくいい楽器を持っている奴が多い。
 我々の時代はフェンダー、ギブソン、マーシャルアンプ、そんなものもってのほか。エフェクターにしてもひとつかふたつ、 チューニングメーターなんて使った事もない。ライブの時にしたってボーカルの前にモニターひとつだけなんて当たり前だった。 ライブハウスなんて無かったから、パブみたいな飲み屋を昼の間借りて、楽器持ち込んで全部自分達でやるしかなかった。

今の若者達は恵まれている。ライブハウスに行くと、セッティングしてあってリハーサルやって ミキサーやってもらって照明してもらって…うらやましい限りである。
がしかし、そんなに恵まれた状況なのに演奏レベルは全然進歩していない。それなりにそこそこ上手いバンドも何バンドかは、 いるけれど、『こいつらスゲエな』と思わせるようなバンドがいない。

 そもそも自分がB.L.Aというサークルに入ったきっかけは“スゲエ”バンドがいたからで、そんな先輩達に、「こうすればもっといい音出るヨ」とか、 「このバンドカッコええから聴いてみい」とか、その他音楽以外のいい事も悪い事も色々教わった。
でもやっぱりみんなでひとつのライブを作っていく事、それが楽しかったから 今でもこうしてライブハウスのおやじやっている訳で、 そういう楽しさを伝えていきたいし、体育会的な上下関係はなくてもいいけれど、アンプの使い方さえちゃんと知らない奴が少なくない。 そういう事は、上の人とかライブハウスの人間がきちんと教えていかないといけない。

 もちろんいいミュージシャンを見つけ出して、育てていって東京に送り出していっぱしの プロミュージシャンになってくれるようになるのも ひとつの夢でもあるけれど、この岡山をもっともっと盛り上げていかないといけない。
 音楽の技術だけでなく、人としてのルールとかマナーもちゃんとやんなきゃ。そのために、 もう少し口うるさいおやじでいようかなと思う。
秋山 貴 2001.1.25


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